授業評価アンケートの方法について見直す必要があるのではないかと感じます。授業の内容や進め方は教員それぞれだと思います。視覚的工夫を重視する教員もいれば、講話を重視する教員もいます。講義の内容そのままのレジュメを配布する教員もいれば、1枚も配布しない教員もいます。各教員が考えた上での進め方です。紋切り型のアンケートでは学生も答えようがないというのが本音ではないでしょうか。教員の粗探しになってしまっては何の意味もないと感じます。学生側の出席状況についても「だいたい出席した」というのは何回出席すれば該当するのでしょうか。実施日の出席をみると、13回のうち8~9回出席で「だいたい」と答えた学生がいると思われます。8~9回で「だいたい」と答えるのは、自分に甘いと私は思います。このように見方が分かれるあいまいさも改善すべき点ではないでしょうか。 さて私に対する評価についてです。「経験は過去のもので、僕たちが介入する余地がなく、発展のしようがない」というのは全く違います。経験や歴史は、現在や未来のためにあります。でなければ私たちの喜怒哀楽は何の意味も持ちません。「過去のもの」「大西個人の所有物」と断ずるのは、あまりに切ないし、経験や過去、人類の営みに対する冒とくです。「理論と経験を明確に区別すべきだ」という指摘にも首をひねるばかりです。この学生さんには、敬愛する宇沢弘文先生の「経済学は人びとを幸福にできるか」の新装版にジャーナリストの池上彰さんが寄せられた「宇沢氏は、当初は数学から学問の世界に入りました。数学は、論理だけで成り立つ学問です。そこでは論理の美しさだけが問われます。しかし、人間社会は、論理の美しさで解決できるものではありません。論理的でない、さまざまな矛盾を見つけ、それを解きほぐし、人間の営みにふさわしいように構成し直す論理を発見しなければなりません」という文章をそのまま贈りたいと思います。 「授業が終わるのが遅い」ということですが、長くて5分だったと思います。休憩時間は20分あります。1限の講義が5分延びたことで何が困ったのか、具体的に説明してほしかったと思います。教員が「あとひと言、どうしても話したい」と思ったこと以上の何があったのか、今からでも教えてください。レジュメの枚数は基本的に1枚にしました。その意味は講義の中で説明しました。意図を持ってレジュメを作っています。以前、「1回しか出席しなかったので、配ったレジュメが全部ほしい」という学生が研究室に現れたことがありました。レジュメさえもらえば勉強した気になるような風潮があるのでしょうか。私が学生のころはレジュメなんて気の利いたものを配る先生は皆無でした。といっても時代が違います。新聞社でも企画などの説明にレジュメを作ることがあります。ただし、求められるのは「1枚で簡潔に」ということです。口で説明すればいいことをダラダラと書くのは愚の骨頂です。1枚なら文字で真っ黒にするより、イラストで目立つようにしたい。そんなことも知ってもらいたいと思って、私なりのレジュメを作りました。 任期の関係で今回が私の書く最後の所見になります。ということもあって本音で書きました。ただし、私自身が自分の授業に満足していたわけではありません。考えながら話したので聞き苦しいところがあったと思います。出席カードの反応を読んで「この部分はもっと丁寧に説明すればよかった」「分かりにくい話し方になってしまった」「あそこはもっと調べて話せばよかった」と反省したこともたくさんありました。それでも出席カードを通して、受講生の皆さんとたくさん「会話」ができたことを私はうれしく思っています。拙い講義を聴いてくれて感謝しています。
担当教員所見
授業評価アンケートの方法について見直す必要があるのではないかと感じます。授業の内容や進め方は教員それぞれだと思います。視覚的工夫を重視する教員もいれば、講話を重視する教員もいます。講義の内容そのままのレジュメを配布する教員もいれば、1枚も配布しない教員もいます。各教員が考えた上での進め方です。紋切り型のアンケートでは学生も答えようがないというのが本音ではないでしょうか。教員の粗探しになってしまっては何の意味もないと感じます。学生側の出席状況についても「だいたい出席した」というのは何回出席すれば該当するのでしょうか。実施日の出席をみると、13回のうち8~9回出席で「だいたい」と答えた学生がいると思われます。8~9回で「だいたい」と答えるのは、自分に甘いと私は思います。このように見方が分かれるあいまいさも改善すべき点ではないでしょうか。
さて私に対する評価についてです。「経験は過去のもので、僕たちが介入する余地がなく、発展のしようがない」というのは全く違います。経験や歴史は、現在や未来のためにあります。でなければ私たちの喜怒哀楽は何の意味も持ちません。「過去のもの」「大西個人の所有物」と断ずるのは、あまりに切ないし、経験や過去、人類の営みに対する冒とくです。「理論と経験を明確に区別すべきだ」という指摘にも首をひねるばかりです。この学生さんには、敬愛する宇沢弘文先生の「経済学は人びとを幸福にできるか」の新装版にジャーナリストの池上彰さんが寄せられた「宇沢氏は、当初は数学から学問の世界に入りました。数学は、論理だけで成り立つ学問です。そこでは論理の美しさだけが問われます。しかし、人間社会は、論理の美しさで解決できるものではありません。論理的でない、さまざまな矛盾を見つけ、それを解きほぐし、人間の営みにふさわしいように構成し直す論理を発見しなければなりません」という文章をそのまま贈りたいと思います。
「授業が終わるのが遅い」ということですが、長くて5分だったと思います。休憩時間は20分あります。1限の講義が5分延びたことで何が困ったのか、具体的に説明してほしかったと思います。教員が「あとひと言、どうしても話したい」と思ったこと以上の何があったのか、今からでも教えてください。レジュメの枚数は基本的に1枚にしました。その意味は講義の中で説明しました。意図を持ってレジュメを作っています。以前、「1回しか出席しなかったので、配ったレジュメが全部ほしい」という学生が研究室に現れたことがありました。レジュメさえもらえば勉強した気になるような風潮があるのでしょうか。私が学生のころはレジュメなんて気の利いたものを配る先生は皆無でした。といっても時代が違います。新聞社でも企画などの説明にレジュメを作ることがあります。ただし、求められるのは「1枚で簡潔に」ということです。口で説明すればいいことをダラダラと書くのは愚の骨頂です。1枚なら文字で真っ黒にするより、イラストで目立つようにしたい。そんなことも知ってもらいたいと思って、私なりのレジュメを作りました。
任期の関係で今回が私の書く最後の所見になります。ということもあって本音で書きました。ただし、私自身が自分の授業に満足していたわけではありません。考えながら話したので聞き苦しいところがあったと思います。出席カードの反応を読んで「この部分はもっと丁寧に説明すればよかった」「分かりにくい話し方になってしまった」「あそこはもっと調べて話せばよかった」と反省したこともたくさんありました。それでも出席カードを通して、受講生の皆さんとたくさん「会話」ができたことを私はうれしく思っています。拙い講義を聴いてくれて感謝しています。