講義では、明治以降の、通常「近代法」とよばれる「法」のあり方を中心に、日本の法の特徴を考えてみたい。 このような言い方をすると、現行実定法を学んでいる諸君は、「何をまどろっこしい」という感をもつかもしれない。しかし、諸君のもっている六法を試みに開けてみるといい。民法の制定年は明治29年(1896年)となっていて19世紀の産物であることがわかるだろうし、商法も明治32年(1899年)と19世紀の産物である。刑法は、明治40年(1907年)制定だから、何とか20世紀の所産といえるが、いずれにせよ明治時代の所産で、しかも、この刑法は、明治13年(1880年)に制定された刑法(「旧刑法」)の条文をかなりひきずっているから、やはり、歴史ある法典といえよう。最近、いくつかの法律が、制定されてから数十年たって古くなっているといって非難されたりしているが、実は、わが国の基本法典には、それ以上の長い歴史があるのである。 このような法は、いったい、どのようにして、どのような考え方の下でつくられたのか。考えてみれば、これら諸法典は、封建領主支配が解体してから、ほんのわずかの年数を経て外国法を摂取しつつつくられているのだから、その営為たるや驚異的といえる。この急速な法の形成は、当然ながら、江戸時代にみられた法との「断絶」を生み出した。この「断絶」には、封建法から近代法への変化という他国にも共通してみられるものと、日本的なものの西欧的なものへの変容という二様のものがある。 しかも、こうした「近代法」の形成は、一概に既存の法の「断絶」とのみは特徴づけられず、すぐれて日本的なもの・東アジア的なものの継承という要素を多分に残したものであった。 講義では、このような諸契機、諸要素が、どのようにからみあっているかに焦点をあてつつ、日本の「近代法」の形成過程を考察したい。 |