「アメリカ的」な自由の捉え方と「ドイツ的」な自由の捉え方の相違が鮮明に現れる領域の一つである「放送の自由」論を素材として、上記目的の達成を試みる。「電波メディアによる報道の自由」(芦部信喜)である「放送の自由」は、日本国憲法には明文の規定は存在しないが、「当然に表現の自由に含まれる」(同)といわれる。それはいかなる意味においてであろうか。表現の自由を支える諸価値が、放送の自由とどのような関係にあるのか、放送を免許制として自由を規制することを正当化する根拠は何か、放送の機能として何を期待しているのか、特定の放送制度を放送の自由は要請しているのか、そこではどのような人間像が前提とされているのか、といった問題を取り上げながら、授業を進めていく予定である。 具体的な計画は、授業のなかで説明する。
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