二つの自由概念
西南学院大学法学論集 第24巻第1号, 1-57頁,
第3号, 43-107頁, 1991年5月〜1992年1月 




目  次
 はじめに
 1 バーリン以前の消極的自由概念と積極的自由概念
 2 マッカラムの三項関係論
 3 ホッブズのパラドクス
 4 満足した奴隷のパラドクス
 5 共和主義と自由 ―― 自由の政治的条件
 
本文の抜萃 ―― 「はじめに」
 1958年10月、サー・アイザイア・バーリンは、オックスフォード大学チチリ講座社会政治理論教授就任に際して、「二つの自由概念」(Two Concepts of Liberty) と題した講演を行なった。周知のように、この講演は同年、同じタイトルで単行本として公刊され、後に Four Essays on Liberty に再録された。この著名な講演から30年余が経つ。その間、二つの自由概念をめぐるバーリンの考察は、この主題にかんするその後の議論に対し、ある意味ではパラダイムとすら呼べるもの ―― それが言い過ぎならば少なくとも共通の出発点 ―― を提供してきたと言ってよい。彼の議論に対して、様々な角度から批判や反論が行なわれてきたことはたしかである。だが今日、そうした批判や反論も含めて一般的に、消極的自由か積極的自由か、という議論の出発点においてまず間違いなく言及されるのは、たとえばギド・ドゥ・ルジェーロではなく、やはりバーリンである。しかも、積極的自由と対比する形で消極的自由の意義を強調した彼の講演以後、Q・スキナーが指摘するように、少なくとも分析哲学者たちの間では、社会的自由の概念は本質的に消極的なものである、という合意がかなり広汎に確立してきている。



 バーリンの「二つの自由概念」がこれほどの思想的影響力を持ちえた最大の理由は、私の考えでは、彼が、自由と自由の条件、自由と他の道徳的政治的諸価値とを明確に区別し、かつ、自由とそれらの諸価値とが完全に調和するユートピアの可能性に対して断固として懐疑的姿勢を示した点にある。たしかに彼の議論には、冷戦期の自由主義イデオロギーに加担するものとして、歓迎されあるいは攻撃される側面もあったであろう。だが、あらゆる選択は取り返しのつかない損失をともなうという、文字通り悲劇的な世界観・人間観を前提とした彼のリベラリズムそれ自体は、明らかに、楽観的で浅薄な十字軍的リベラリズムではなく、むしろ、醒めた精神のリベラリズムである。そして、この姿勢によって可能となった政治的思慮の力が、イデオロギー論争の次元を超えて「二つの自由概念」を20世紀政治理論の古典の地位に導いたと言ってよいであろう。

 とはいえ、自由と他の諸価値とを判然と区別する姿勢を選択することも、一つの選択である以上、やはりコストをともなうものであったことは否定できない。私が本稿で試みるのは、「二つの自由概念」以後の自由概念にかんする諸議論の検討をつ うじて、そのコストとは何であったのかを明らかにすることである。まず、第1節の前半では、積極的自由と消極的自由というタームがいつ頃から使われるようになったかを考察する。主題の性格からして完全な確定は困難であるが、イギリスの場合、これらのタームが政治理論の文脈ではっきりと対比的に用いられ始めた時期としては、19世紀末に遡ることができる。次いで後半では、バーリンが消極的自由概念の論者として挙げている思想家たちのうち、とくにホッブズとベンサムの議論を吟味する。以上の各作業は、歴史的興味に応えるものにしか見えないかもしれないが、実際には、西欧政治思想の伝統における自由観の多様性を理解し、バーリンの二分法的理解を相対化する上で重要な、最初のステップである。第2節では、バーリン流の自由概念の二分法に反対してマッカラムが提唱した三項関係論と、これに対するボルドウィンの批判を取り上げる。後者の批判は、消極的概念と積極的概念との区別が、少なくともマッカラムの努力に対抗できる程度の強力な根拠を有していることを明らかにしている。とはいえ、両概念が区別可能だという見地に対しては、少なくとも形式的レヴェルでは、両者は必ずしも判然と区別できないことを示唆する別の議論もある。この点は 〈強制と自由は両立する 〉〈満足した奴隷は自由である〉 という二つのパラドクスに対する消極的概念の立場からの回答を見ることによって明らかになる。そこで、第3節では前者のパラドクス、第4節では、後者のパラドクスを取り上げる。これら二つの節での考察によって、消極的自由を尊重しようとする立場もまた、主体の一定程度の合理性と自律性の双方を前提とせざるをえないこと、そしてこれを認める限り、ホッブズ流の厳格な消極的見解は採用できないことが明らかになるであろう。

 以上の第2節から第4節までの考察は、チャールズ・テイラーがバーリンの「マジノ線メンタリティ」と呼んだものが支払わざるをえなかったコストを具体的に明確化する。もちろんこのことは、バーリンにコストの自覚がなかったということを意味しないし、消極的概念が存立不可能であることを示すわけでもない。しかし、これらの考察は少なくとも、積極的概念だけが一貫性を欠いた混乱したものになりがちで、消極的概念はそうした欠陥を特権的に免れている、とは言えないことを示している。だがそれとは別に、ここでさらに、忘れてならない点を付け加えねばならない。それは、バーリン以後の多くの論者たちが看過し、バーリン自身少なくとも正面から取り組まなかった重要な問題が依然として一つ残されている、ということである。その問題とは、消極的自由が望ましい理想の一つであるとしたら、それを維持し促進するために、われわれにはどのような政治的義務が要求されるのか、という問題である。たしかに直接的には、これは自由それ自体の問題ではなく、自由の条件の問題である。だが、自由にとって死活的な意味を持つこの問題を扱わないことは、政治理論としては明らかに致命的だと言わねばならない。そこで最後に、第5節において、この方向での考察の手掛かりを与えているものとして、共和主義の伝統における自由概念についてのスキナーの議論に注目する。彼の議論は、バーリン流の消極的自由と積極的自由という二分法を介して過去を振り返る限り視野の外に排除されてしまうものが、現代における緊要な考察と関連していることを示しており、その意味で、現代政治理論と(アナクロニスティックでない)歴史研究との新たな協力関係をも提起している、と見てよいであろう。