2006年01月23日
第26(最終)回 論文発表会
最終回となる今回は角松先生が神戸から駆けつけてくださり、恒例の論文発表会が行われました。最終的に提出された論文タイトルと要旨は以下の通りです(各ゼミ生から送信された要旨をそのまま掲載しています)。
○「指定管理者制度と博物館運営」(本馬)
指定管理者制度は、行政事務の新たな民間委託制度として2003年度に創設された。しかし、「民間にできること」と「民間に任せるべきこと」の区別が十分に為されないまま、新制度が導入されていくことが懸念される。私の故郷長崎県では、博物館に指定管理者を導入し、全国の博物館関係者の注目を集めている。そこで、博物館の運営の在り方を考えながら、指定管理者制度の内容や問題点について検討することにした。
現在全国の自治体で指定管理者制度の導入が進んでいる。なかでもスポーツ施設や社会福祉施設などでは、早くも自治体財政その他における効用が現れているところもある。一方、博物館事業の委託の結果は、導入施設数自体が少ないこともあって未知数である。しかし、学問的専門性の高い博物館には、そもそも民間委託に対する否定的意見が強く、民間の受け皿も成熟していないのが実情といえる。筆者も博物館の役割について調べた結果、博物館本来の役割を果たすためには、指定管理者制度によって運営されることは難しく、公立直営の博物館の存続が必要と考えた。
それにもかかわらず、博物館の学問的専門性を含めた民間委託が可能になったのは、行政活動を適切に評価する仕組みが未整備なためである。今後は、数字で評価することが難しい文化行政も含めた、行政評価制度の整備と理解を深めることが大きな課題といえる。
○「介護保険制度における高齢者福祉施設」(岩橋)
昨年、2005年は介護保険制度にとって大きな意味を持つ年であった。団塊の世代の要介護化に対応するために、急を要して成立した介護保険を見直す年だったからだ。そして実際に見直しがなされ、様々な変更・決定がなされた。見直しは「持続可能性」、「明るく活力のある超高齢化社会の構築」、「社会保障の総合化」という三つの基本的視点からなされたが、その中でも最も注目されたのは、急速な少子高齢化が進んでいく中でいかにして制度を持続させていくかという「持続可能性」、殊に、多くの介護保険費が投入されている介護保険施設のあり方だった。居宅サービスにかかる費用は施設サービスに比べ、一人当たり一ヶ月でおよそ25万円ほど安く、そのため、施設から居宅重視への介護へと転換することにより、大幅なコスト削減が可能となる。しかし、依然として利用者の施設に対するニーズは多く、居宅ケアへの転換は容易には行われそうにない。このように介護保険費の確保と利用者のニーズという二つの視点に馴染むような施設のあり方として、見直しによる変更・決定の分析を踏まえたうえで、筆者は地域に根ざした施設集合体を提案する。これは制度見直しによって得られた長所を持ち合わせ、残された課題に応えつつ、利用者の真に求めるサービスを提供する一方で、居宅と施設を結びつけ、居宅ケアへの自発的・自立的な移行を促し、制度の持続可能性にも貢献することを期待するものである。
○「九州大学伊都キャンパス周辺のまちづくり」(小嶋)
九州大学は平成17年の10月に工学部の一部が福岡市西区の伊都キャンパスに移転した。これから約15年かけて統合・移転する予定である。伊都キャンパス周辺では、新駅の建設や道路整備などまちづくりが始まってきている。キャンパス周辺のまちづくりについては九州大学学術研究都市構想が提案されており、キャンパスの周辺地域を土地利用の基本的考え方によって5つのゾーンにわけ、将来像の実現のための開発の規制・誘導を示している。
また本稿では大学と周辺地域の関わり方にも注目してみた。地域が大学に期待することとして、第一に人口特に若者の増加による地域の活性化、第二に産学連携による産業の活性化や大学関係者による消費や大学施設の整備等の経済的効果、第三に大学施設の開放や地域住民の学習の場の提供といった文化的支援が挙げられる。
大学移転の前例として筑波大学と広島大学をみてみると教育研究機関の整備を重視しすぎて都市基盤の整備が追いつかずにまちの活性化に支障をきたしたり、大学移転とまちづくりが同時並行で行われた場合に明確な計画を立てていなかったために構想通りにいかなかったというような問題が発生していた。伊都キャンパス周辺のまちづくりにおいてもこれらの問題は十分に発生しうることである。さらに伊都キャンパス周辺のほとんどは市街化調整区域に指定されているが、各都道府県に柔軟な開発許可制度の運用が認められたことで市街化調整区域でも比較的開発が行われやすくなるおそれがある。今後は地域の状況に応じた柔軟な基準や開発の規制・誘導方策や地域ごとに開発の方針など明確な将来像を持つことが重要になるであろう。
○「市町村合併のその後」(堤)
きっかけはともかく私は市町村合併の詳細を知らないのでまず市町村合併とはなにかという地点からまずはそこからスタートする。今回の平成の市町村合併は当自治体だけでなく、日本のこれからの分権政治や財政改革に大きな関わりがあり、その手段に過ぎないという背景が浮かんでくる。そこで平成の市町村合併が騒がれてからしばらくたった今、「篠山市」と「栄村」という二つのまったくタイプの違う自治体を取り上げてそれぞれが抱えている問題を検証した結果、その目的である財政面に当たる地方交付税制度「見直し」が、手段である市町村合併によって「ムチ」という国による地方の誘導という性質に変質し、それにより本来の地方交付税制度の本質である財政保障・調整の必要性が生まれてくるという矛盾が発生していることに気づいた。
地方交付税制度の本質にかえり、財政地保障・調整を優先したいが、何よりそうするだけの財源がなく、また過剰になりすぎて交付税の補助金化という事態にもなりかねない。そこで第三者機関を設けて民主的決定を促すよう提言してみた。ただ総額(財源不足)の問題は手づまりで結局増税にすがってしまった。
○歴史的景観の保存と生活空間の共存(土井)
近年、日本全国で歴史地区の価値が見直され、各地方自治体独自の政策により、保存が行われている。しかし、その多くが歴史的外観を残すだけの保存方法となっているため、歴史地区の観光地化を招き、将来は歴史的景観のみが残り、そこに培われてきた文化や生活の失われた「歴史地区の博物館化」がもたらされようとしている。本来、歴史地区保存とは、歴史的景観を残す町並みの中で、現代の生活が営まれ、歴史の継続性が感じられるものでなければならない。しかし、文化財保護法や景観法を始めとする現在の法制度は、そのような継続性の維持を促すものとはなっていない。
そこで、現行法制度の検討と、京都市を例にした歴史地区の現状分析を踏まえて、博物館化を防止するために行政に期待される役割を検討した。歴史地区の博物館化を防ぐためには、歴史地区の景観保存と生活空間の共存が欠かせない。そのために、行政に期待される役割として、第一に、景観維持を目的とした相続税の軽減措置、建造物の修繕・維持ための補助や優遇的融資制度、耐震性強化への支援措置などの法整備を行うこと、第二に、伝統的建造物の居住空間としての魅力作りに取り組んでいる市民やNPOなどの活動を支援すること、第三に、コミュニティとしての機能を高めるため、歴史地区の生活基盤の整備(観光産業との調和・公共施設の整備など)や伝統的文化を奨励することが必要である。
○電力自由化(友石)
この論文では、電力自由化における新規参入者の送電網利用における公平性を中心に検討した。昨年高圧50kW以上の需要家に対する自由化が行われた。2007年には全面自由化も検討される。しかし、電力自由化に伴って、安定供給は確保されるのか、環境問題との関係はなど問題も多々ある。その中でも、電力自由化において既存業者の持つ送電網が公平に利用されなければ競争は起こりえず、また、送電網の利用を一歩間違えるとネットワークの破壊にもかかわり、電力供給の安定性にも影響する。そこで、現在導入されているネットワーク利用における中立機関の設置や経理区分といった送電網の利用の公平性維持のために導入された制度について検討した。そして、送電部門の中立を保つために、送電部門の管理運営を電力会社から分離させるという組織的分離を提案する。
○学部における教育(鳥居)
もともと教育に関して興味があったので、教育制度に特有な法理論の体系であると定義されている教育法に関して検討を行った。そのなかで、平成3年に大学設置基準の大綱化がなされたことから、カリキュラムの変更が可能であることを確認した。そして、現代社会が抱えている問題というのは超領域的であることから、教育的にも自分の専門のみならず、他の周辺分野への理解が必要となるという要請も同時にあることから、学部教育における学際化を念頭に置き、そういった要請に応えるカリキュラムの変更はできないかを検討した。最後に(1)専門教育と教養教育のバランス、(2)提供される教養教育の内容、質及び量、(3)組織的問題、(4)学部の改変に関して大学への提言を行った。
○ローカルマニフェストによる自治体改革(鳥飼)
現在、わが国における地方自治は多くの問題を抱えている。また、当事者である住民の関心も非常に低い。そうした中で、首長選挙の際に具体的な公約を示すローカルマニフェストが脚光を浴びている。これにより、政策本位の選挙が実現され、住民の自治に対する意識を喚起させることで自治体は大きく変わるのではないかと期待される。そこでまず、マニフェストの作成や利用のしやすい環境を整える。ただし、マニフェストも、個別の政策の正当性や二元代表性の下のもう一方の代表機関である議会との関係で限界を抱えている。この限界を超えるために、まず市民参加の上でマニフェストを自治体の総合計画とすること、また、マニフェストを基にした議会との議論を経て、自治体としての意思を形成しそれに基づく行政運営が可能とするための仕組みを、各自治体が条例などで整えることを提案する。そして、選挙による政策選択→市民参加の下での計画化→議会における審議・議決→政策遂行の評価→選挙による審判という流れを確立することで、住民の意思が各過程において反映される、人民自治の実質化を図りたい。そうして、住民の意識の高まりや議会の政策構想能力の向上がうまくいけば、分権時代に対応できる、受け皿としての自治体が出来上がるのではないか。ローカルマニフェストはそこに至るための入り口であり、道具である。
○高齢者の所得保障としての生産年齢人口維持(中島)
日本の超高齢化の進展に伴って、私は介護保険や年金などの高齢者を対象とした社会保障の財源確保に大きな不安を感じていたので、その対策として高齢者の所得保障としての生産年齢人口の維持をテーマにした。
第一章では今回のテーマの根幹である社会保障制度の歴史と日本での発展を概観した。第二章では生産年齢人口の維持の手段として①移民の利用、②少子化対策の2つの案について検討した。どちらも簡単に生産年齢人口の維持の手段とはできないが、それぞれの中の問題をひとつずつ解決していき、現在ある制度の改正という結論を出した。第三章では第二章で取り上げた法律的な要素とは別に、企業にできる措置として年功序列型賃金の再評価とロボットの利用可能性を上げた。
○公共図書館と指定管理者制度(三角)
本論は、2003年「地方自治法の一部を改正する法律」によって創設された指定管理者制度の導入が公共図書館の運営にどのような影響をもたらすかを考察し、あるべき方策の一端を見出すことを目的としたものである。
構成については、第1章で題材選定の動機及び問題意識を述べて本論の目的を明らかにし、第2章で指定管理者制度の対象となり得る公共図書館の意義、法制度、現状及び生涯学習との関連を考察することによってその特質等を検討した。続く第3章では、指定管理者制度について、従前の管理受託制度との比較や個別公物法との関係、指定に際しての具体的な手続きについて詳細に記述し、また、同制度導入の経緯をまとめた。そして、第4章では、第2章及び第3章での記述を踏まえ、既存の法体系と指定管理者制度との緊張が生じている局面に触れることでその法制度上の問題点を指摘し、続いて指定管理者制度を図書館の管理運営に導入した場合のメリット及びデメリットを検討してあるべき姿を探り、また、仮に導入することとした場合に留意すべき点などについて検討を加え、第5章でこれらをまとめた。
以上の過程を経て得られた本論の結論は、図書館への指定管理者制度の導入を慎重に考えるべきであるという立場に立ちながらも、そのメリットの認めるべきところは認め、導入に際しての方途を考える一方で、公的部門に保留しておくべき事柄が存在することも指摘するというものである。
○DV被害者の保護(屋良)
今日、女性・児童・老人・障害者といった、社会的に弱い立場にあるものはどうしても存在しうる。そのなかでも本論文では、DV被害にあう女性の保護について考えていく。
女性は法的視点から見て、非常に不遇な立場におかれてきた。その中で今回、DV防止法という女性を優遇するとも言えるような法律がようやく成立した。
DVとは「夫から妻への、もしくは恋人などの親密な関係の男性から女性への暴力」のことである。様々な要因から、DV被害にあう女性はその暴力から抜け出せないでいることが多い。また、その被害は妻だけでなく、子どもにまで及ぶこともしばしばある。このような被害をなくすため、DV防止法が立法されることとなった。
DV防止法の内容としては、配偶者からの暴力にあう女性を保護し、その保護規定を破ったものに罰則を与える旨を定めている。また、DV防止に向けての国の指針や対応についても定めている。
DV等、虐待防止を論じるうえで、必ず挙がってくる問題点に「民事不介入の原則」というものがある。警察等国家機関は「家庭には立ち入らず」の原則を楯に、DV等を取り締まることはほとんどなかった。しかし、そもそも、民事不介入の原則は虐待等を取り締まることを規制するものではない。よって、DV防止法により国家が家庭に立ち入ることは問題がないといえる。
もしDV被害に会ったときは、恥ずかしがらず、まず誰かに相談する。そして、身の危険を感じたら避難できるということを決して忘れてはいけない。
DV防止法が成立し今後DVが取り締まられていく最低限の基盤は整ったといえる。しかし、加害者サポート等、改良の余地はまだまだ残されている。DV防止への取り組みはここで終わりを向かえたのではなく、スタートラインに立ったに過ぎないことを忘れてはいけない。





